東京博善桐ヶ谷斎場でお父様の直葬を行ったご遺族の体験談をご紹介します。
大切な人との別れに、形式よりも気持ちを重視したいと考える方にとって、直葬という選択は現実的で温かい送り方の一つかもしれません。
今回は、東京都品川区にある桐ヶ谷斎場でお父様を見送ったご家族の体験をもとに、直葬の流れや費用、当日の様子、そして感じたことをまとめました。
静かで丁寧なお別れを考えている方の参考になれば幸いです。
体験談
2024年12月、父の直葬を東京博善桐ヶ谷斎場で行いました。
経済的な事情や、兄と私の希望で直葬を選択しました。
兄も私も、100万円から200万円ほどの葬儀費を工面する余裕はないですし、特定の宗教に入っているわけでもないですし、「長い通夜や葬式は避けたい」という意見が一致しました。
父が亡くなったとき、まず何からやったらいいのかわかりませんでしたね。
葬儀というものは、故人を送り出す大切な儀式であると同時に、残された家族にとって大きな経済的負担となることも事実です。
兄と話し合い、「父はどんな見送り方を望んでいただろうか」「私たちにとって本当に必要な儀式とは何か」「経済的に無理のない範囲でできることは何か」。そんな問いを繰り返しながら、最終的に直葬という選択に至りました。
兄はさらに踏み込んだ意見を持っていました。「もう誰も呼ばなくてよい。自分と妻と私だけで見送ればよい」というくらいラディカルな考えでした。
形式的な葬儀よりも、本当に父を想う気持ちを大切にしたいという思いがあったのでしょう。
また、父自身も生前、「死んだら簡単に済ませてくれ」と言っていましたしね。
しかし、さすがに父と親しかった方々には知らせるべきだと考え、最低限の人たちには連絡することにしました。
それでも参列者はごく少数になることが予想され、むしろそれが父の人柄に合っているようにも思えました。
父は派手なことが苦手で、静かに暮らすことを好む人でした。
多くの人が集まる賑やかな葬儀よりも、本当に親しい少数の人たちに見守られながら静かに旅立つ方が、父の望むことだったのではないかと思います。
葬儀社との打ち合わせでは、直葬のプランについて詳しく説明を受けました。火葬までの遺体の保管、搬送、火葬の費用、骨壺などの費用を含めて、合計50万円ほどという見積もりでした。一般的な葬儀と比べると半額以下で済むことに、正直なところ安堵感もありました。
直葬を選ぶことに対して、世間体を気にする気持ちがまったくなかったわけではありません。
「親の葬式をケチった」と思われないだろうかという不安もありました。
しかし、形式や体裁よりも、故人と遺族の本当の気持ちを優先すべきだという考えに、最終的には落ち着きました。
実際にそんな経済的余裕がないのに、見栄で立派な葬式を出してもしょうがないですしね。
今までこのような直葬というスタイルについてほとんど知識がなかったので、なんとなく不安に思ってるくらいならさっさと調べておけばよかったと思いましたね。
桐ヶ谷斎場は、五反田駅から徒歩20分ほどかかるので(不動前駅が最寄りですがマイナーな東急目黒線なので使いにくいかと思います)、参列者に高齢者がおられる場合は、無理せずタクシー使ったほうがよさそうですね。
かなり高低差のある地形にあるので。
駐車場は広いので問題ないかと思います。
直葬の当日は、朝9時頃に斎場へ到着しました。
冬特有の澄んだ空気で、空は真っ青で快晴だったことを鮮明に覚えています。
寒さはありましたが、太陽の光が暖かく感じられ、不思議と心が落ち着くような気がしました。
父が亡くなってから一週間ほど経っていましたが、その間、私の心の中では様々な感情が入り混じっていました。
悲しみ、後悔、安堵、そして時折湧き上がる不思議な空虚感。
目を見開いて、口を開けて亡くなっていた父の死に顔が頭から離れなかったですね。
あの表情は何を意味していたのだろうかと、何度も考えました。
苦しかったのか、それとも何か言い残したいことがあったのか。
私もこのように死ぬのか……苦しそうだな……嫌だな……。と相当動揺していたのを覚えています。
夜もあまり眠れなかったですね。
20年近く前に母が亡くなっているのですが、母の死に顔はおだやかだったので、このような動揺はありませんでした。
母の場合は、長い闘病生活の末に眠るように亡くなったので。
父の場合は突然のことで、心の準備ができていなかったのかもしれません。
アルツハイマーが徐々に進行していたのですが、2024年11月頃に誤嚥を繰り返すようになり、
もう口から食事を摂ることはできないということで、無理な延命治療をしない方針にしたのですが、そこからあっという間に亡くなってしまいました。
一応余命2ヶ月ほどと聞いていたのですが、2週間ほどで亡くなってしまいました。
亡くなる一週間ほど前にお見舞いに行ったときは、もうアルツハイマーがかなり進行しているのでしゃべることはできませんが、目に力があり、まだしばらくは元気でいてくれるかもしれないと思ったのですがね。
夜中に病院から連絡があり、すぐにタクシーで向かったのですが、病院についたときには残念ながらもう亡くなっていました。
亡くなるとすぐに病院から遺体を移動させなければならないのですね。
死亡時刻は夜中の2時くらいだったのですが、看護師さんから教えていただいた葬儀社にすぐに電話をして来てもらい、父の遺体の保管をお願いしました。
葬儀社の方が来るまでの間に、看護師さんがエンゼルケア(亡くなった人の身体に処置を施し、整容や死化粧を行うこと)をしてくれましたね。
私は電車やタクシーを使わずに、ドコモの自転車シェアサービスの自転車で行ったので、少し離れたドコモの自転車置場から15分ほど歩いて斎場に向かいました。
斎場の前の道は少し坂になっていて歩道が狭いので歩きにくかったのを覚えています。
建物はかなりきれいで、まだ建てられてから新しいものかと思われます。
敷地に入り、一番手前の入口から入ったのですが、総合案内のようなカウンターはなく、少し戸惑いましたね。
確か事前に地下のロビーのような場所のソファで待っていてくれと言われたので、一旦そこを確認しましたが、
これは他の人はわからないだろうなと思い、外に出て、斎場の入口あたりで待つことにしました。
実際そのほうが良かったですね。かなりわかりにくい集合場所だったので。
地下のソファの近くにはトイレもあり、広々として清潔感もあり、居心地は悪くない場所でしたね。
直葬のプランの場合、控室のようなものはないようですね。
これは少し寂しい気もしましたが、父ならば「無駄なことはするな」と言いそうな気がして、逆に父らしい選択だったのかもしれないと思いました。
その日の参列者は、私と兄夫妻、父の友人夫妻、先に亡くなった母の友人が参列してくれて、合計6人でした。
父の友人夫妻は、正確に言うと私の保育園時代のパパ友ママ友?ご夫妻で、30年以上の付き合いになるご夫妻ですね。
兄や私が子供の頃は、よく家族ぐるみでバーベキューをしたり、山登りをしたりなど仲良くしてもらっていた方々です。
親たちだけでも、年に数回は必ず会っていた間柄でした。
父が亡くなる2週間ほど前にもお見舞いに来てくれていたそうです。
母の友人は、母が亡くなってからも父を気にかけてくれていた方で、こまめに父のいる施設や病院にお見舞いに行ってくださいました。
もうかなり高齢なのですが、この日もお一人で来てくれました。
父の仕事関係の方の連絡先がどうにもわからなくて、連絡できなかったことは残念でしたね。
そういうことも生前、意識がしっかりしているうちに本人に聞いておいたほうがよいですね。
全員が揃ったところで、斎場の方に案内されて、1階の火葬場に移動しました。
移動中、よそのご家族と一緒にならないように配慮してくれていたと思います。
火葬場は、火葬炉が5,6基並んでいて、天井も高く、広々とした空間でしたね。
となりの火葬炉との間隔も広くとられており、圧迫感だったり狭さみたいなものは感じませんでした。
そこで短い時間ですが父とのお別れの時間があり、皆で花を飾ったりなどして最後のお別れをしました。
最後に父と一緒に写真を撮りたかったですが、他の方もいらっしゃいますし、撮影禁止でしたね。当たり前ですよね。
病院でもエンゼルケアをしてくれていたのですが、あいてしまっている口がどうにもしまらなかったのですが、おそらく斎場の担当の方が口を閉めてくれていて、大変助かりました。
口があいたままですと、おそらく参列してくださった方がびっくりしてしまうかもしれないので。
父との最後のお別れは短い時間でしたが、その静けさと簡素さが逆に心に残るものとなりました。
火葬炉へ送り出すときにはスタッフの方が丁寧に対応してくださり、進行はスムーズでした。
お通夜、告別式もなしでやっているので、本当にあっという間だなあ……と思ったのを覚えていますね。
火葬されている間は、地下の喫茶店で待ちました。
ウッド調の落ち着く雰囲気のお店だったかと思います。
生前の父の話を聞いたりなどしていましたね。
母が早くに亡くなっていたので、お父さんも逝っちゃったのかもしれないねえ。などと来てくださった方からお話を聞いていたらあっという間でしたね。
1時間ほどですかね、待っている間に、兄は葬儀場の方から明細?を見せられて、精算の話をしていました。
そういえばそのタイミングで、トラブルがありました。
骨壺に父の名前と享年と命日を入れる機械が壊れてしまったらしく、一旦なにも書かれていない骨壺にお骨を入れて、後日骨壺を交換するということでよいか、という相談でしたね。
兄も私も、別になにも書かれていない骨壺でいいと言ったのですが、斎場の方がちゃんと名入りの骨壺にしてくださるとのことだったので、後日交換してもらうことにしました。
火葬が終わり、また火葬場に移動しました。
火葬炉から出した遺骨を、火葬場の部屋の隅の方に移動し、そこで骨の部位の説明を受けながら、骨上げを行いました。
納骨するお墓が本当に辺鄙な山奥にあるので、持っていくのが大変ということもあり、小さな骨壺を選びました。
すべての骨を収めることはできないので、頭、喉仏、腰骨、太ももの骨などを順番におさめるように、斎場の方に教わりながら行いましたね。
骨壺に入れられなかったお骨は斎場の方で供養してくださるとのことでした。
骨上げが終わり、斎場で行うことは終わりました。
事前に斎場の方に聞いたり、ネットで調べたりもしたのですが、斎場の近くに食事できるような場所があまりないようで、少し離れた木曽路に行きました。
徒歩で行ける距離ではないので、事前にタクシーを予約しようとしたのですが、それも一苦労でしたね。
年末だからかもしれませんが、どこのタクシー会社に電話してもネット予約しようとしても、どこも予約でいっぱいでした。
結局、Uberタクシーで予約しました。
料金は普通のタクシーより高かったですが、確か時間あたり1台3,000円ほどだったでしょうか、キレイなワゴン車2台で来てくださり快適に移動できましたね。
ただ斎場の駐車場が広いのはいいのですが、代わりに来てもらったUberタクシーがどの車かわかりにくくて確認するのが大変だったという弊害はありました。
あらかじめどんな車種で来るか聞いておいたらよかったかもしれません。
木曽路は、ちゃんと椅子の席の個室があり居心地良く、料理もおいしかったですね。
確かビルの2階にあるお店でしたが、エレベーターがあり、高齢者でも問題ないつくりのお店かと思います。
席に案内されるまでに座って休めるソファなどもあり、ホスピタリティの高いお店かと思います。
木曽路での食事中に斎場から電話があり、骨壺に名入れする機械が直り、もう名入りの骨壺の準備もできたので、できれば本日中に来てくれないかとのことだったので、食事が終わり、木曽路の最寄りの旗の台駅まで参列してくださった方を見送ってから、私は斎場に戻りました。
火葬場の骨上げをするスペースで、お骨を名入りの骨壺に入れ直してもらいました。
終始、大変丁寧な対応をしてもらったので、不快なことなどはなにもなかったですね。
斎場のかなり上の立場の方が、何度も謝罪してくださいましたし。
私も葬儀をやる意味をほんとうの意味ではわかっていなかったのですが、今回の父の直葬でわかった気がしますね。
父の苦しそうな死に顔が頭から離れなくて、なんともつらい気持ちだったのですが、来てくださった方々と生前の父の話を笑いながらしているうちに、なんだかとても救われた気がします。
最期はちょっと苦しかったかもしれませんが、少ないながらも親しい人たちに見送られて良い人生だったんじゃないかと思えました。
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